いのちの食べ方

Elmar52010-09-22

ドキユメンタリー映画「いのちの食べ方」を観た。牛や豚、鶏などの動物、果実や穀類、野菜などが製品となつて食卓に上がる前の姿を僕らはあまりにも知らない。子供の頃、ご飯を残すと親に怒られたものである。もつたいない、行儀が悪いといふのが一番の理由だらう。他にもきつと別の理由があつたのかもしれない。今時の親ほど子供に懇切丁寧に理を説明する時世ではなかつたし、そんな余裕もなかつた昔の親。労働の対価として得た食事に対するありがたみ、食事を作る人への感謝、命あるものを食材とする痛み、さういつた幾つかの意味が在つたのだらう。何でも食らふ人、動物性たんぱく質を摂らぬ菜食主義者。何れも他者の命を頂戴していることに変はりない。動物の方が感情移入しやすいのは同感だが、それだからといつて植物しか摂取しないからノツト・ギルテイではない。かくも生きるといふことは業の深いものであればせめて痛みと感謝の気持ちは忘れてはならないと改めて感じた。