四審制の国

三浦氏死亡の報を受けて、つくづくこの国(=日本)は国民の生命、財産についてまるで守る気のない国だという思いを強くした。拉致被害者イラクで拘束された人々、三浦氏、それぞれ事情は違えどそんなものは関係ない。国には案件ごとに事情を斟酌して守る、守らないを選択する権利は与えられていない。近代法では権利と義務は表裏一体の関係にある筈だが、国民に義務は強いるが生きる権利は制限するのがこの国の在り様なのだろう。普段は正義の味方を臆面もなく演ずる司法に携わる人間達の多くも我関せずの姿勢を貫いた。日本が真に独立国ならば、米国に対し司法権の侵害だ、くらいの抗議はあって然るべきだと思うのだが、政府も日弁連も動かない。日本は三審制かとばかり思っていたが、実は四審制で、最高裁の上に米国裁というのがあったということか?