慶次郎縁側日記

佐々木譲の小説を一休みして今は北原亜以子の「慶次郎縁側日記」を読んでゐる。氏の本を読むのは初めてである。慣れない文体に少々梃子摺る箇所もあるがそれはこつちの読解力の不足といふものだらう。内容は江戸定町廻りを引退した50手前の男が主人公である。その男の元へ様々な事件が持ち込まれる。事件といつても大きなものではない。むしろ万相談所とでもいふべきか。主人公が超人的な働きをしてすぱつと難問を解決し、目出度し、目出度しとなるのが一般的なのだらうが、ここでは一切さういつたことは起こらない。世間によくあるやうな話ではあつても当人にとつては一大事といふ相談が慶次郎に持ち込まれる。慶次郎は一応主人公なのだからさぞや天晴れな解決をするに違ひないと読者は勝手に思ふ。だがそこが作者の巧みなところで読み手は肩透かしを食はされる。「おまえさん、そんなんでいいのかえ?」と心の声をあげたくなるのだが何故か清清しさのやうなものが残る。出来ないことに無理に抗はず、自分の分を弁へてゐる人間の潔さを感じるのである。脇を固める登場人物も魅力的である。偉い人も超人も居なければ極端な弱者も居ない。弱者なりに強かな面を持ち合はせて生きてゐる姿が生き生きと描かれる。暫く北原亜以子の作品が続きさうである。