老ひ行く目と付き合ふ

加齢とともに体のあちこちが痛んでくるのは仕方のないことである。判つてはゐるものの慣れるまでには相当の時間を要する。すつかりあきらめたつもりになつても時には思ふやうにならない自分に苛立つこともある。僕の場合は先ず目がいけない。元々近視と乱視があり、それに加へて早い時期から老眼になつた。遠近両用眼鏡は人によつては苦労すると聞くが幸いにも僕はすぐに慣れることが出来た。それでも着実に目の老化は進み眼鏡は合わなくなつてくる。去年作り直した遠近両用は二つ目である。子供の頃、オジサン達が書類や新聞を顔から近づけたり、遠ざけたりして見る表情と仕草を見ては心の中で面白がつたり、苛々したりしたものである。いつの間にか自分もさうなつてしまつた。目が悪くなると細かな手作業が覚束なくなる。指を使ふ事は脳の老化防止に役立つらしいが目がこれではだうにもならない。遠近両用眼鏡とはいつても万能ではない。通常の生活に支障をきたすことは稀だが以前のやうに精密ドライバーを使つてジャンク・カメラを弄るなんてこともすつかりなくなつたがそれもいいだらう。無理して今の自分に抗つてみても腹が立つだけだらう。それよりもうまく現状に付き合ふ方が精神が健康でいられる。出来るだけ平穏な気持ちでゐることが一番だと思ふ。