不思議な国の・・・

以前このブログで「生きるために食べるのか、食べるために生きるのか」といつた内容の事を書いた。大概の人は朝、昼、晩と一日三回食べる。それが生きてゐる限り延々と続く。昼ご飯は何を食べやうか、とか晩ご飯は何にしやうか、といつた話はよくあるが、朝ご飯ではこの何にしやうかといふのはあまり聞かない。朝食はパンだつたり、ご飯に味噌汁、納豆、漬物など定番となつてゐるからだらう。故に悩まなくて済むのである。問題は昼と晩である。中には昼は毎回蕎麦と決めてゐる人もあつたりする。さうでない人は職場の近くの定食屋を何軒かローテーシヨンで廻る苦労が続く。さて、ここで苦労と言つてしまつたが、本来ならばこの言葉はかなり不適切であると言はなければならない。食べるのに苦労するのなら話は分かるが、何を食べるのか悩む苦労など贅沢この上ないことだからだ。世界中の飢へた人々云々の話だけでない。僕らは一体自分の体が何を欲してゐるのか分からなくなつてゐるのだ。つまりきつと何も不足していないのだ。それくらひに満ち満ちた生活なのだらう。不足がなければ何でもいいといふことになる。暑ければ冷たいもの、寒ければ暖かなものくらひは感じるもののせいぜいその辺までが意識出来る限界である。食べるものがないのは不幸なことだが、自分が何を食べたいのか分からないのも贅沢といふ不幸である。贅沢が不幸といふのも不思議な話であるが、ダイエツトの盛んな国で栄養補助食品が売れるといふのも不思議と言へば不思議である。