個人と組織

石月正広氏の【干潟のピンギムヌ】を読み終へた。この小説の前に【鬼押】を読んだ。二つの作品には地理、時代、舞台、内容とも共通するものはない。だが、石月氏は常に個人対組織、石月氏の組織感といふものを描いてゐるのではないかと推測する。これはこの二作に限つたことではない。結師シリーズでは主人公の紋重郎に「おれは組織といふものが嫌ひだ」と言はせ、鬼押では村の再興に奔走する利発な村の少年が、官の人間から養子縁組を持ちかけられる。作者はその少年を一揆に参加させ、結果命を落としてしまふ。寄物の中では猟奇的な村に生まれ育つた少女と彼女を愛する少年の悲劇を描く。干潟のピンギムヌでは孤島にある圧制炭鉱といふ強大な組織から脱走を図る少年の話である。村も炭鉱会社も、そして一揆も組織である。その組織の中で翻弄される個人。 去年の暮に石月氏から頂戴したコメントの中に「感性が似てゐるところがある〜」といふ一文があつた。これは飽く迄僕の推測であり、またお得意の素敵な勘違ひかも知れないのだが、僕と氏は組織に対する考へ方、感じ方といつたものに相通じる部分があるのではないかと思ひ至つた。僕も紋重郎と同じくどんな組織に馴染まない男である。