面白い感情

今まで無かつた?のに、ここ何日か僕のブログ記事の下段におかしな宣伝が入つてゐる。主に強壮剤の宣伝なのだが、甚だ迷惑な話だ。「はてなダイアリー」もどこかで金を稼がねばならないのは分かるが面白くない気分である。さて、愚痴や不満はこの辺で切り上げて本題と思つたが、今日はせつかくなので「愚痴や不満」について。誰でもこんな経験があるかと思ひます。友人や知人、つまり他人に対して自分の身内の愚痴や不満を喋る。その話を聞いた人は大概その愚痴や不満を一笑にふしてくれます。本人としてはかなり本気で言つてゐる場合でも、聞き手は「まだ子供ぢやないですか。元気があつて結構」とか「うちの女房に比べればまだいい方ですよ」とか「私の親なんかもつとひどかつたですよ」などと嘘か誠かはともかく実例を出して話し手の憤りを鎮めるのが普通です。ところが、たまたま、今風に言へば空気が読めない人なぞは真に受けて一緒になつて愚痴や不満の原因となる人を攻撃する。すると言い出しつぺの人は何故か腹が立ちます。これつて実に不思議な話です。自分で言ふ分には構はないのですが、他人に言はれると面白くない。きつと自陣地に敵が侵攻して来たと感じるからなんでせう。散々毒を相手に聞かせて同調を求めたくせに「あんたに言はれたくないよ」となる。他からの自分の身内に対する攻撃=自分に対する攻撃といふ図式になるんですね。これが僕には実に面白く思へます。何が面白いのか。何人かの赤ちやんが居る場所で、一人の赤ちやんが泣き出すと他の赤ちやんも泣き出すことがあります。最初に泣き出した赤ちやんには何らかの理由があるんですが、次々に泣き出す赤ちやんには理由がない。これは自分と他人との区別がつかないことから来ることだと心理学で習つたことがあります。それが成長するにつれて自他の区別を理解しはじる。空腹で泣く子があつても自分が空腹でなければ泣くことはない。その代わりに人の気持ちを理解する、思ひやる、自分のこととして捉へ直す術を身につける。感情移入なんてのもその一つだと思はれます。ところが「あんたに言はれたくないよ」の感情は自分のこととして捉へ直すといふよりは、自分と他との区別がつかない赤ちやんの反応に近く感じます。それほど瞬間的で感情的な反応です。成長して手にした自他の区別は捨ててしまつたのではなく奥底に仕舞ひ込んであり、何かの拍子にふと顔を出すといふのが僕が面白く感じる部分なのです。