天邪鬼

どうしてこうも僕の性格というものは天邪鬼に出来ているのだろう。何のことかといえば自分の欲求のことである。欲求といっても本能的なものではなく、読書欲、映画欲、観劇欲、写欲、自転車欲といった欲求である。時間がある時にはそれほど湧かないそれらの欲求は少し身の回りが忙しくなったりするとたちまち頭をもたげてくる。それも一種の焦りのような感覚を伴ってだ。何かをしなければならない時に限って妙にそれらの欲が意識に上がってくるのだ。きっとこの感覚は現実に対する単なる逃避なんだとは思うのだけれどどうにも抗いようがない。遡れば10代の頃の試験勉強(量も内容も大したことはないのだが)の時期にいつもこんな思いをしていた記憶がある。また当時は今よりもテレビで映画が放映されていた。確か月曜から日曜日まで夜の9時代は映画だったんじゃないだろうか。僕の被害妄想なのだろうが、普段どうでもいいような映画を放送しているのに試験中になると見たかった映画がかかるように思えて仕方なかった。そんないわれのない仕打ち?を受けた僕は試験中=学生=テレビ局は購買層と見なしていない、という図式を肌で感じ取った。 先週は諸々と忙しい1週間だった。ゆく春を惜しむ気持ちとそんな気忙しさが僕の天邪鬼な気持ちを目覚めさせたのだろう。