待てない僕、待てる彼等

昭和一桁の人や20年代の人からすると昭和30年代生まれの僕が貧しさを語るのはちやんちやら可笑しい話だらう。だからその頃の時代と自分の時代との比較の話ではない。僕の出来ることといつたら自分の子供時分を思ひ出し、それよりも更にモノがなかつただらう事を想像するだけである。だが想像はあくまで想像であり、実体験ではない。限界がある。そこで僕が今日ここに記すのは今の若い人と僕の比較である。子供の頃、他家から見て僕の家の経済状況はどうだつたのか知らない。だが少なくとも子供が金持ちだと自覚出来るやうな事は何一つなかつた。東京の隣の県に生まれ育つたもののおしゃれな食べ物もなかつたし、何よりそんなものを売る店もなかつた。菓子パンは大手の袋入りのものしかなく、今の様にベーカリーのパンを食べたのは小学生の高学年だつたと思ふ。生シユー・クリームを初めて食べたのもその頃だ。育ち盛りの時期でもあり、3度の飯では足りずいつもお腹をすかしていた気がする。だが、100円持つてマツクに行きなさい、なんてことは勿論なかつた。100円も貰えなかつたし、店もなかつた。小麦粉に重曹を混ぜて焼くおやつがあつたが、ホツト・ケーキに蜂蜜ではなかつた。
僕の子供の頃はこんなものだつた。三つ子の魂百までといふ言葉があるが、まさにその通りでこんな子供時分を過ごすと身に付いた貧乏癖が大人になつても抜けない。質が足りないので常に量で満足させやうとしてしまふのだ。買い物では安物買いの銭失いを今でも日々実践してしまふのだ。いいものよりも多少悪くとも今すぐに欲しくなりそれを抑へられない。だが、今の人は違ふやうである。欲しいものに妥協せず、じつくりとお金を貯めて買ふと聞く。待つことが出来るのである。それはきつと今を逃したらといふ危機感のやうなものを体験した事がないからではないだらうかと僕は思ふ。彼等を羨ましいと思ひつつ貧しい自分の性に苦笑してしまふのだつた。