鉄筆、輪転機、わら半紙


以前に電子書籍のことを書いた。概ね反対派としての意見だつたと思ふ。今のところ僕はそれを持つたことも見たこともない。ただ電子辞書だけは一応持つてゐる。本を読む時にちよくちよく使ふのだが、実はこれも僕にとつて宜しくない。国語辞書から漢和、和英、英英、その他と収録された種類は多くて重宝なのは認める。だが、このツールは調べることに関しては優秀なのだが、そこまでなのである。つまり、調べたものや語句が残らないのだ。これにはベースとなる僕自身が相当に鈍であることも少なからず影響してゐるのは事実である。電子辞書で引いた言葉の殆どが自分の知識として蓄積されない。よつて同じ言葉を何度か調べたりする羽目になる。本を読み進めていくにはその場、その時さへ理解出来れば問題ないのだらうが、つくづく自分の学習力の無さを痛感する。 確か小学生の頃に辞書作りといふことをやつた記憶がある。作り方はまるで忘れてしまつたが、きつとA君が「あ」で始まる言葉を五つ、B君は「い」から始まる言葉を五つといつた具合にクラス全員参加だつたのではないか。辞書に書かれたことを丸写しではなく、自分たちなりに意味や用例を考へて作り上げた。鉄筆で書き、印刷は輪転機を回した。紙はわら半紙だつた。まだ半世紀も経てないが今では「むかし、むかし」で始まる話になつた。