何もない棚を見て・・・

TBSラジオのコーナーでほぼ毎日何処かの街に行つて放送してゐ毒蝮三太夫氏。初めて彼の毒舌を聞いた時には正直言つて不快感があつた。「ジジイ」だの「ババア」などの言葉が何のためらいもなく使はれるのは許せなかつた。我慢して聞き流すのだが、それでもこのコーナーの時間帯だけ文化放送に切り替へることもしばしばあつた。人間何事も慣れるものらしく、しばらくすると毒舌に対する嫌悪感が薄らいでくる。それどころかあれだけ嫌だつた彼の言葉に笑つてしまふ自分があつた。彼に会ひに来たリスナーも毒舌を吐かれてもむつとした様子が感じられずやはり笑つてゐるのである。口は悪いが腹はないとか、毒舌の中に愛情が〜とかといつたことがよく言はれるが、それらはとことん付き合はなければ理解されないことも多いだらう。初めて行く現場で初めて会ふ人に毒舌をふりまき尚且つ笑はせるといふのは並大抵のことではないと思ふ。よほど人柄が良くなければ出来ない芸当だらう。自分も相手も身構へることなく自然体であの様な会話が成り立つのはなぜなのか。付け焼刃で同じことをしても反感を買ふだけだらう。彼の日々の処し方はどんなものなのか。★11日に東日本を襲つた大地震は日を追ふにつれ被害の大きさが理解出来てきた。僕の住む県ではそれほどの被害はないのだが、連日ガソリン・スタンドは車の列が連なり、午前中にはスーパーの棚からパンやトイレツト・ペーパーが無くなる。余震のことを考へて皆が我先にと買ひ走るためだ。自分や家族のためを思つてのことであるし、理解出来なくはないのだが被災地の人を思ふと心が痛む。彼らは現状で何もかもが不足してゐる。この先、起こるか否か判らない事変に備へて被害の少なかつた地域でこんな状況を目の当たりにすると甘ちやんの僕は人間のたくましさよりもあさましさを感じてしまふ。