最近のニユースより

世の中、釈然としない事ばかり。とりわけ京都の暴走車の事件が危険運転致死容疑で立件出来ないといふのは腑に落ちない。この容疑を構成するにはいくつかの要件があるらしいのだが、今回の場合はその要件のどれにも該当しないといふのが立件を見送つた理由と聞く。運転手が無免許であつたが、それは関係ないらしい。それどころか事故を起こす何時間も前から運転し続けた事実から相当の運転技術を有してゐたと判断されるといふ驚くやうな理屈である。この論法でいくと初めて無免許で車を運転して同様の事故を起こす場合の方が、普段から無免許で車を転がして事故を起こす方が軽く済むといふことになる。運転免許がある=(公道において自動車を運転することを可とする)法規、技術を有するといふ解釈、逆に言へば無免許 =法規、技術を持たないと僕は考へるのだがそれは間違ひだらうか。法治国家であるし、人を罰するに慎重であることは大切ではあるが、法は言葉の遊びではないよと愚痴を言ひたくなる。