「カメラは病気」

どうして人は、いや男はと言い換えた方が正確かもしれないが、こうもモノに執着するのだろう。何の話かというとコレクションの話である。子供の頃仲の良かった子(男)は牛乳瓶のフタを集めていた。僕のその頃といったらその辺を走り回ることくらいが遊びだった。モノの収集なんてまるで興味がなかった。だからその子がコレクターだとは露ほども知らず、その夥しい数のフタを見せられた時びっくりしたものである。そして口にこそ出しはしなかったが「そんなもん集めてどうすんの?」と思った。クラスのごく一部で切手の収集が流行ったことがあった。それには僕も少しの間だが仲間に加わった。少ないお小遣いでは価値のある未使用切手などは手に届かず外国の使用済みの切手ばかりだったが・・・。思い出される僕のコレクション体験はその頃がスタートであり、それ以降は暫くの間休止期間が続く。ただ本だけは読んでいたので蔵書は増えた。集めることが目的ではないが、二十歳の頃は洋楽を貪るように聴いた。結果洋楽のレコードが増えた。若く、時間だけはあり、無いのはお金だけだったがよくアルバムを買った。当時はレンタルレコードというのが始まったばかりではなかったろうか。今のように大手レンタル会社などはなく個人商店のようなレンタル屋だった記憶がある。 学校を卒業後、池袋の百貨店関係の仕事に就いた。会社の帰りに盛り場の質店のウィンドーを覗くようになったのがきっかけで腕時計に興味を持つようになった。手巻きのロンジンを買ったのが始まりでボーム&メルシー、ロレックス、オメガ、APなどどれも中古だがそれなりにお金を注いだものである。今はその熱も冷めてお気に入りのものをいくつか残すのみになっている。そしてカメラ&レンズである。今までそれなりにモノの沼に陥りながらも抜け出してこられた僕だがカメラとレンズの沼だけは未だに抜けられずにいる。もがけばもがくほど深みにはまる文字通り底なし沼のようなこの世界。「カメラは病気」という和久俊三と田中長徳氏の対談形式の本がある。お二人ともスタイルは違えど病気である。彼らほどではないにしても僕も間違いなく感染している一人である。この病気は健康な人には理解出来ないものである。きっと僕ら病人を見た人は「そんなに集めてどうすんの?」とまだ幼い頃僕が抱いた同じ疑問を持つことだろう。