リタイアした男達に告ぐ

世の中に男と女がある。僕自身男の末席を汚す身ではあるが、最近末席よりも2,3段は上座へ自分自身を置いてもいいのではないか、と思つてゐる。といふのは末席にあつた僕から見ても更に劣るやうな男共がとかく目に付くからである。一体だういつた人種の男なのか。乱暴を承知で言ふが、リタイアした年齢層の男達である。例えば銀行のATMでの話。リタイア男の順番が回つてきた。だが、彼はそれに気付かなかつた。そこで出来るだけ親切さうな声と言い方で「空きましたよ」と教へた。男は何も言はずに空いたATMに向かつた。他人に指摘されるのは大方面白くないのが人情だとは分かる。だが、表情を見ると「しまつた」でもなく、「うるせー」でもなく無表情なのだ。同じシチユエーシヨンで相手が女性だと大概反応がある。恥ずかしさうに謝つたり、礼を言つてくれたりする。一時はこちらの言ひ方に問題があるのかと悩んだりもしたがそればかりではないらしい。単純に礼儀や会話が出来ないのである。それに加へて社会に参加しやうといふ姿が見受けられないのだ。所謂燃えつき症候群なのかもしれない。ならば同性として多少の同情心も禁じ得ないのだが何時までもさうしてゐる訳には行かぬ。仕事や会社といつた枠が無くなつても社会を構成する一員であることからは免れない。働かなくとも社会に貢献は出来る筈だし、その方法は身近に幾らでもある。そこで提案がある。先ず一日に一回、他人をいい気分にさせるやうに努力したら如何か。朝、班長さんを先頭に学校に向かふ子供達に元気に「おはよう」と声をかける。犬の散歩の途中で出会う人に自分から挨拶するでもいい。コンビニでの買物で品物を渡されたら「ありがとう」と言つてみるでもいい。金をかけずに出来ることなど沢山ある。さういつた習慣が身に付けばきつと自分の中で何かが変わり、その変化に気付くと思ふ。行動が変はれば意識も変はるのである。自分が変はることによつて今まで目に映つてゐた社会も違つて見えるだらう。何でもかんでも他人の責任にするつもりはないが、こんな残念な男達を見ると今の日本の現状に妙に納得出来てしまふのだ。