日常と非日常

誰が調べたのかは失念してしまったが、最近の調査によると人生の最後は病院で過ごしたいと思う人が大半だったそうだ。僕はこの結果に驚きを持った。多くの人が自宅で家族に囲まれて最後を迎えたい、そう願っているものだとばかり思っていたからだ。この考えには何の根拠も無かったが、調査結果の理由を見て更に僕の何となく思っていた浅はかな考えは粉砕された。病院で最後を迎えたい派の理由は自宅で十分な治療は難しい、家族の負担など。今に始まったことではないが、病院で終末期を迎えるということは家族や友人などの縁故者の日常生活からやや距離がある。昔は自宅で生まれ、自宅で死んでいった人間。今は病院で生まれ、病院で死んでいく。生まれるのも死ぬのも家という人間の基地から離れてしまった。このことが是か非かという問題はどちらとも言えないが、先日の秋葉原の事件の事を考えた時に当たり前のように病院で向かえる死、家族や友人の手から離れてしまった死というものに違和感を覚えた。以下、少し乱暴な思考になってしまうがご勘弁を。秋葉原の事件に限らず毎日のように殺人事件が起こり報道される。日本にいる外国人同士の殺人事件や、変死事件など報道されないものの数も決して少なくないという。つまり殺人事件は今では日常的なことになってしまったということだ。別に珍しくもびっくりするようなことでもないという、日常に起こる非日常的なこと。病気や老齢による人間の最後というごくごく自然な現象を僕らは日常から手放してしまい、殺人や事故による死を日常的に報道から知る。何だか割り切れない気持ちになった。