タバコ 二題

たばこ増税の話が財務、厚労相の間で合意に至ったらしい。相次ぐ総理大臣の辞任騒ぎで忘れていてくれたかと思っていたのだが、そういうわけにはいかないようだ。お国はかつて炭鉱での塵肺訴訟や排気ガスでの健康被害、干潟や湾の埋め立てによる漁業被害について数々の訴訟の被告となってきたが、常にそれを突っぱねてきた。理由は関連性が立証出来ない、というものだ。だがタバコについては健康被害が関連付け出来るらしい。タバコが体にいいとは言わない。だが、健康被害の要因は何もそれひとつだけではない。タバコのみを主犯に仕立て上げるのには無理があるだろう。もっともお国もそんなことは百も承知だろう。要は払う側に廻れば突っぱね、金を取る方に廻れば錦の御旗を掲げて貫き通す。それにしても国というものは民から金を毟り取ることにどうしてこうも長けているのだろう。さんざん親から金を無心していっこうにヤクザな生活を改めない放蕩息子のようなものである。使うことには無頓着、足りなければ民から更に取ろうという姿勢は何人首相が変わろうとも同じ。金の毟り方に浅知恵を働かせるよりも
まず自らの使い方を改める方に心血を注いで頂きたい。★問題のある(やんちゃな)生徒を積極的に受け入れていたとされる学校に禁煙指導のための喫煙室があったことが発覚した。世間はもとより当局も動き出したそうだ。禁煙指導という大儀があるにしても超えてはならない一線を越えたといった批判の声が多いようだ。僕はこの報道と大勢を占める否定的な声を知った時、公営ギャンブルと弁護士の事を思った。かつては何れも反社会的な人々、つまりヤクザを名乗る人々の仕事だった。時代劇でよく見る丁半博打はギャンブルである。弁護士は人と人との諍いの間に入って解決し報酬を得る。これも昔からその筋の方達の仕事であった。解決が見事だから人望が厚くなるのか、人望があるから見事な解決をするのか。どっちにしろ実績のある人はその道で親分と呼ばれる出世をしていった。そこには当然金も一緒についてくる。国はこういった仕事にウマミがあると思ったのか、それともけしからんと思ったのか彼らから取り上げてしまった。弁護士からは文句が来そうだが、大雑把に言えば資格があるかないかだけの違いだ。「僕とあなたとの違いはバッチがあるかないかだけだ」と弁護士が言うと「先生、バッチなら俺もつけてるぜ。今度は金バッチを貰うことになっている」という笑い話がある。話を学校に戻す。教育者、大人として生徒の喫煙を認めるような方法は間違っている、そこは踏み止まらなければならないラインだという説を唱える人は公営ギャンブルについてはどう考えるのだろう。お国が博打の胴元になるのは一線を越えていないのだろうか?僕はこの件について学校側に同情したい。法的に問題はあるだろうが、現場にいる学校、先生が問題から逃げずに向き合ったのは間違いないだろう。常に問題は現場が抱えており、その対応に迫られている。見て見ぬふりをしろとは僕は言えない。